『数学100の問題』 数学セミナー増刊1984
2006年 03月 30日

『数学100の問題』、副題は「数学史を彩る発見と挑戦のドラマ」。目次に並んでいることばが面白い。
源氏香
遺題継承
お化け煙突
須弥山図式とシヴァ神姿態
生態系の諸問題
へえ、こんな数学の問題もあるんだ、と、感心しながら読む。抜き出しやすいところを引用してみる。(表記に適宜変更あり。)
【河渡りの問題】
オオカミとヤギを連れ、キャベツのかごを持った男が、河を舟で渡ろうと思った。しかし、舟が小さくて男のほかにどれか一つしか積むことができない。ところで、男がいないとオオカミはヤギを食うし、ヤギはキャベツを食べてしまう。どうしたら無事に河を渡ることができるだろうか。
【継子だて】
子供を30人持った母親がいたが、子のうち15人は実子、15人は継子(先妻の子)だった。ある日、母親はこの子らを円形に並ばせて、10番目、10番目に当たる者を除いていって、一番最後に残った者にこの家を継がせると言った。いざ数えてみると、継子ばかり除かれていって、最後の1人も除かれることになった。そこでその子は、「これではあまりに不公平です。これ以後はわたしから数え始めて下さい」と言った。言い分がもっともなので、母も止むなくその通りにすると、今度は実子ばかり除かれて、最後にその継子が残ったという。
【サム・ロイドのサーカスの問題】
これは鶴亀算と似て非なる問題であり、筆者が子供の頃めんくらったものである。趣旨はサーカスの動物を求める問題であって、頭の総数と足の総数とが与えられている。挿図に現れている動物を既知として引いてゆくと、最後に頭が3つ、足が2本という怪奇な動物が残ってしまった。いくら計算し直しても誤りない。これで大いに悩んだ。
その答えは蛇使いと2匹の蛇だった!もっともこうなると、これはもはや"数学の問題"ではなさそうだ。
読んだのは説明の文章のところだけで、式のところはもちろん皆目わからない。わからなくても、こういう無駄のない(例えばロゲルギストのような)文章というのは読んでいて気持ちがよかった。
今日のちょんぴ
2006年 03月 30日


ちょんぴはしゃけをちょっとだけもらった。

ちょっとざんねん、かなりうれしい
2006年 03月 26日

写真は夫の切手コレクションから。物置を整理していたら、夫の古いストックブックが出てきたのだ。3円ホトトギスや7円金魚や10円鹿の切手が入っている。眺めているだけで、何ともほこほこする。
小さくて、かわいくないようでかわいい
2006年 03月 25日

どこにでも咲いているオオイヌノフグリ。小さくて、かわいくないようでかわいい花。写真に撮るにはむずかしい。
25日(土)、大阪中之島の国立国際美術館へ。プーシキン美術館展。今年に入ってすぐ、近鉄の駅でチラシを見て以来、行きたい行きたいと思いながらこんな時期になってしまった。間に合ってよかった。(4月2日まで。)
数日前、美術学校卒のYちゃんから電話があった時、この美術館展の話をした。
わたし「プーシキン美術館展ていうのん見にいきたいねん」
Yちゃん「へえ。どんな絵、来んの」
「モネやろ、ルノワールやろ、ゴーギャンとか、マティスとか、ピカソ、セザンヌ…」
「ごめん。今言うてた中で観たいナと思うのん、ないわ」
さよか。て、あのなぁ。そんな言い方せんでもええやろ。
中学からの友達というのは遠慮がなさすぎる。
国立国際美術館に行くのははじめて。地上には、ガラスとステンレスのオブジェ風の入口があるだけ。建物は地下で、展示は地下3階にある。通路も広く、ソファがたくさんある。光も過不足のない感じで、ゆとりのある美術館だなあという印象。
今回の展示は「フランス印象派の松花堂弁当」と言った趣。モネ、ルノワール、ゴーギャン、マティス、ピカソ、アンリ・ルソー、マネ、ロートレック、セザンヌと、こうして書けばそのまま美術の教科書の目次である。土曜日だから人も多い。それでも何とか、ある絵は人の頭越しに、またある絵は無理やり前に出ていって納得がいくまで眺めてきた。
期待していた割に驚かなかったのはルノワールの「黒い服の娘たち」。家に飾りたいなあと思ったのはマルケという人の「オンフルール港」。
一番よかったのはやはりマティスの「金魚」。思っていたよりずっと大きな絵だった。描き方はよく言えば軽快、悪く言えば「えいやっ」といった感じだが、その筆づかいや色のあちこちから、描いている人の生き生きした気持ちが声になって聴こえるような気がする。
生きてるって何て楽しい。
世界って、こんなにうつくしいよ。という声が。
美術展を観た直後はどうも気宇壮大になるようで、ミュージアムショップでは衝動買いを抑えるのに難儀した。(去年の8月、歴史博物館に行った時も全然関係ないものを買ってしまっている。)マティスの画集、ピカソのポストカード本、マトリョーシカ…とさんざん目移りした挙句、絵葉書5枚と木の人形を買う。

名前はチェブラーシカ。ロシア語で「ばったり倒れ屋さん」の意とか。何かこういう、小さくて、あんまりかわいくないようでかわいいものにはヨワいのだ。
世界のチョコレート
2006年 03月 18日

歌会の合間、みなさんにお配りするため箱を開けてみた。なるほど、銀紙の上から6色の紙の帯で巻いた板チョコが出てきた。紙の帯にはロシア文字、それとうっすら何かのシルエットのような柄が刷られている。よく見るとそれはヘーゼルナッツやアーモンドやミルクピッチャーのようである。どうやら中のチョコレートの風味を示しているらしい。
「あ、どうぞ、みなさんお好きなのを」「ありがとうございます」
みなさんが4つ取られて、箱の中に2個残った。どちらにしようかな、包み紙を見るとひとつにはカカオの実の絵がついている。ははあ。カカオがたっぷりちゅうことやナ。迷わずその青い包み紙のチョコを選んで口に入れたら、
濃い。
こゆい。
カカオの味しかせん。全然甘くない。
「あの…」と声を出すと、4人が一斉にこちらを見た。「…このチョコ、美味しかったですか?」
「え?美味しかったですよ?」
みなさんそう仰る。(ひょっとしたら気を遣って下さっていたのかもしれないが。)それにしてもわたしが食べた粒は「カカオ」であって「チョコレート」ではなかった。ロシアン・ルーレットの本場だけあって、1箱に1個は「当たり」が入っているのか?
この話を夫にしたら、
「まだカカオの味やったらマシやん」と言う。ロシアのチョコレートの話から、〈香港チョコレート事件〉のことを思い出したのだ。
夫は香港でチョコレートを買ったことがある。金色をふんだんに使ったゴージャスなデザインの立派な箱に入った立派なチョコレートだった。値段も、それなりに結構な値段がした。夫はそれを買い、自分が通っている音楽教室におみやげとして持って行った。
次の週教室に行った夫は、知らない生徒さんから、
「先生、この人が犯人?!」
と指をさされた。
夫が面喰っていると、先生が、
「あのチョコレート、ナ、まずかったでぇ」
とにやにやしておられる。あんまりまずかったので先生が生徒さんに1粒ずつ強制的に食べさせたらしい。生徒さんのひとりは「雑巾の味がする」と言ったとか。食べてみたかったとは思わないが一体どんな味だったのだ雑巾って。
弥生の雪
2006年 03月 14日

14日(火)、引き続き寒い朝。6時半頃、空が暗くなって雪が降り始める。みるみるうちに積もり、あっという間にとける。「庭のすみれが、砂糖菓子のよう」…と書けばうつくしいが、花も寒の戻りにびっくりしているに違いない。

外出
2006年 03月 13日

回廊下で「籠松明」を見学。実物を見るのははじめて。

参拝後、みんなで鹿にキャベツをやる。これはお約束。
午後は文化会館の集会室で歌会。1時半までと時間を決めて、とにかく詠草を書く。短冊が、2枚、3枚と取られてゆく。焦る。思いと、ことばと、定型がおしくらまんじゅうをするようでもどかしい。手帳を繰る音と、文字を書く音しかしない。公文式の教室のような空気。
清書して数えてみたら、5人で41首あった。これは、豊作といっていいと思う。人数こそ少なかったが、歌だけに集中できるぜいたくな時間を持つことができた。ご参加下さいましたみなさま、ありがとうございました。
春が、雪崩のように
2006年 03月 09日

朝は冬、昼は春
2006年 03月 07日

理由は…聞かないで下さいませ…orz
しかしJAFの人の手際はあざやかであった。到着後5分で車は復活。困っている人を助ける仕事はうつくしい。
臘梅の終わった庭の片隅で、すみれが咲き始めた。薔薇の芽もどんどん伸びだしている。

『茶の本』 岡倉覚三
2006年 03月 03日

放課後、毎週水曜日、和室に先生が来ておけいこをして下さっていた。おけいこを受けるつもりで申し込みはしたものの、実は毎日、クラブの練習がある。どちらかと言うとクラブに行きたい。行かないと、他の部員の練習にも差し障る。さりとて、お茶にも魅力がある。そこで同じクラブの3人で謀って、お茶の先生が見える前に和室に行き、おけいこの準備をすると称してお湯をわかし、勝手にお茶を点てお菓子を食べて体育館へトンズラすることにした。…しかししまいに露見して、お茶の先生には大層叱られた。何のことはない、茶道ではなく頭の黒いネズミ道である。以来茶道には縁なく生きている。あと3回くらい生まれ変わっていま少しよい魂になったらまたおけいこを受けてみたいと思う。しかしあの放課後の和菓子は実においしかった。
上等な日本茶、おつかいもののお茶というと一保堂を連想する。一保堂の包装紙は『茶経』をデザインしたものである。この包装紙によって、わたしは『茶経』というものの存在を知った。『茶経』を読んだことはないがこの『茶の本』はすぐ読めた。この一冊はさしづめ岡倉天心の『茶経』であろう。以下引用。
茶道の要義は「不完全なもの」を崇拝するにある。いわゆる人生というこの不可解なもののうちに、何か可能なものを成就しようとするやさしい企てであるから。(p21)
考えてみれば、煎ずるところ人間享楽の茶碗は、いかにも狭いものではないか、いかにも早く涙であふれるではないか、無辺を求むる渇のとまらぬあまり、一息に飲み干されるではないか。してみれば、茶碗をいくらもてはやしたとてとがめだてには及ぶまい。人間はこれよりもまだまだ悪いことをした。酒の神バッカスを崇拝するのあまり、惜しげもなく奉納をし過ぎた。軍神マーズの血なまぐさい姿をさえも理想化した。してみれば、カメリヤの女皇に身をささげ、その祭壇から流れ出る暖かい同情の流れを、心ゆくばかり楽しんでもよいではないか。(p22)
翻訳は常に叛逆であって、明朝の一作家の言のごとく、よくいったところでただ錦の裏を見るに過ぎぬ。縦横の糸は皆あるが色彩、意匠の精妙は見られない。(p40)
現今、名人の気分を骨を折って研究する者が実に少ないのは、誠に歎かわしいことである。われわれは、手のつけようのない無知のために、この造作のない礼儀を尽くすことをいとう。こうして、眼前に広げられた美の饗応にもあずからないことがしばしばある。名人にはいつでもごちそうの用意があるが、われわれはただみずから味わう力がないために飢えている。(p65)
われわれの心に訴えるものは、伎倆というよりは精神であり、技術というよりも人物である。(p66)