最近読んでいる本 歌集『蓮喰ひ人の日記』 黒瀬珂瀾

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読み終わった本をしばらく寝かせておいて、ふたたび開くと、付箋がたくさん貼ってあって不思議な感じがする。

黒瀬珂瀾 歌集 『蓮喰ひ人の日記』 短歌研究社 (2015年)より、以下引用。

オフィーリアの指を離れて沈み初め続くる芥子のあかあかと夜

紅きベレーを被れるごときポストかな時に漱石の愚痴を呑みたり

この夏に一枚の葉を加へたる児よいつまでも飲み乾せ父母を

明日へわれらを送る時間の手を想ふ寝台に児をそつと降ろせば

眠りたる頬に浮かびし児の笑みのやうに去りゆく秋のひと日は

われら国を離りて――吾妹、汝が水に触るるとき静かなり寒の獅子

妻と児があれば吾など誰でもいいひかりを諾ひ生きゆかむかな

引用終わり。本当は「日記」なので、一首一首に日付があり、詞書がある。詞書そのものにもたくさん付箋を貼っていた。
歌集というよりは、小説を読むような、スリリングな読書だった。

# by konohana-bunko | 2023-03-14 23:00 | 読書雑感

最近読んでいる本 木下こう歌集『体温と雨』(私家版)

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犬と街灯さまで購入。

読み通して感じたことは、繊細さ。こういう歌を詠むひとは、浮世を生きるのが苦しいのではないかしらと思えてしまう。歌を読む上では、それは余計なお世話かもしれないけれど……。
好きだと思ったところは、丁寧にことばを扱っているところ。感覚をよくあらわしているひらがなの表記。
以下、こころが立ち止まった歌を引用する。

・店先のくびふり人形たちの首みんなゆらいで いいね やはらか

・サンダルの釦をとめる指先のちひさき響き 海に行きたし

・首飾りはづしてのちのくびすぢは昼の硝子のやうにさみしい

・ポケットを裏がへすやうにあなたからゆめのはなしを始めてください

・ヒースなど異国の花の匂ひして古き箪笥の抽斗はよき

・ふちのある写真のなかに笑みし母 みぎてとひだりてわたしにまいて

・手と手には体温と雨 往来にさみしくひかるいくつかの傘

・うつむきて小さきボタンをはめてゆく うみの小石の転(まろ)びおもふよ

・オルゴールはよわい雨ですとぢるときちひさな角(つの)をねぢふせるのです

・こなごなになつた塗料をベンチからデニムに移すよろこびながら

ブックデザインはとみいえひろこさん。カバーの手ざわりや本文の文字のたたずまいも歌の世界によく合っていた。

# by konohana-bunko | 2023-01-12 20:32 | 読書雑感

最近読んでいる本 『昨日の世界』 シュテファン・ツヴァイク

最近読んでいる本 『昨日の世界』 シュテファン・ツヴァイク_c0073633_21392066.jpg
『昨日の世界』Ⅰ・Ⅱ  シュテファン・ツヴァイク  原田義人訳  みすずライブラリー みすず書房

本を読んでいて、その中で引用されていることばに惹かれ、引用元の本を探して読み……と、芋づる式に新しい本に当たってゆくのが好きだ。この本のことは、自分としてはめずらしく、一首の歌で知った。高橋慎哉さんの

・がら空きの車両の隅で読んでゐたカバー黄ばみし『昨日の世界』
(うた新聞2021年12月号[師走作品集]「マイーザの歌」五首より)

という歌が、それだ。
前半三分の一ほどは、第一次世界大戦前、硬直と言っていいほど安定したウィーンに生まれた著者が、文学に目覚め、大学に入ってからはパリ、ヨーロッパ各地を経めぐり、さまざまな人物と出会い、あれを書きこれを書き……という自伝が語られる。それはまるで、若い一本の樹が、ヨーロッパという豊かな世界から思う存分養分を吸い上げて巨樹に育ってゆく物語のようでもある。そして彼が五十歳を迎え、いよいよ成熟してゆこうとする時、ヨーロッパは暗転し、第一次世界大戦、第二次世界大戦の無惨さの中になだれ込んでゆく。熱心なユダヤ教徒でもない、ただユダヤ系であったというだけの人たちが、どれほど惨い運命に見舞われたか、著者は書く。彼自身もユダヤ系の、よきウィーン市民であり、同時に優れたヨーロッパ人であった。

同時進行で再読していた本の中に
〈ナチズムの成立から崩壊までの十年を、プリンストン滞在時をふくむトーマス・マンの日記でたどってみると、はじめは喜劇的なアヤフヤさのものが、ついには西欧を地獄にする軍剣の制度となる過程が浮かびあがる。〉(大江健三郎『言い難き嘆きもて』「共通の言葉を作ること」より)

という文章があった。ツヴァイクのこの本でもまさしくこのようなことが語られている。

以下、わずかながら、引用する。

そして、今日、まだ自己の道をよく知っていない若い作家に忠告を与えるとすれば、私は、まず相当偉大な作品に対して叙述者か翻訳者として使えるように説得しようとするであろう。あらゆる自己献身的な奉仕のうちには、初心者にとって、自分が創ることのうちにある以上の確実さがある。そして、人が時に没入してなすことは、けっしてやって無駄であるということがないのである。(Ⅰ p187-188 「生の万象」より)

私がロマン・ロランを時を失することなく発見したのは、偶然であった。一人のロシア人の女流彫刻家が、自分の作品を見せ、また私をモデルにして素描を試みるために、私をお茶に招待したのである。彼女がロシア人であり、ロシア人の常として時間とか約束の時間の正確さとかいうものの彼方にあるということを忘れていたので、正確に約束の四時に訪ねた。私が聞いたところによると、すでに彼女の母親の乳母だったという置いた婆さん(バブシュカ)が、私をアトリエに導き入れた。そこでは最も絵画的な要素をなしているのは、その無秩序ぶりであった。老婆は私に待つように乞うた。全体で四つの小さな彫像があちこちに立っているだけなので、私は二分間でそれらを見終わった。そこで私は、時を空しく失わないように、一冊の本、というよりもその辺に散らばっていた数冊の褐色の雑誌を手にした。それらは『カイエ・ド・ラ・キャンゼーヌ』という名であり、私はパリですでにこの誌名を聞いたことがあったのを思い出した。しかし誰が、この国に入り乱れて、短命な理想主義的な花として浮び出たかと思うとまた消えてしまう小雑誌を、いちいち追いかけることができたであろうか。私はそのロマン・ロランの『ジャン・クリストフ』の第一巻「暁」の頁をめくり、読み始めたが、だんだん驚きと興味とに引き入れられていった。ドイツをこんなによく知っているフランス人はどんな人間であろう。まもなく私は、あの立派なロシア婦人が時間にルーズであることに、感謝していた。ついに彼女が近づいて来たとき、私の最初の質問は「このロマン・ロランというのはどういう人ですか」ということであった。彼女はくわしく教えてくれることはできなかった。(Ⅰ p297-298 「ヨーロッパの輝きと影」より)

# by konohana-bunko | 2022-10-30 22:05 | 読書雑感

最近読んでいる本 大口玲子歌集 『ひたかみ』『トリサンナイタ』

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歌集『ひたかみ』 大口玲子 雁書館 (2005)
歌集『トリサンナイタ』  大口玲子  角川短歌叢書 (2012)

以下、心に触れてきた歌を引く。

『ひたかみ』より

五時の鐘やさしく鳴りて夕暮はやさしきもの、やさしきもののはず

人形浄瑠璃の舞台に見をり近世のサラダなき世の野菜泥棒

毒のない方を選んでくださいとりんごの赤と黄が並べらる

夕立の過ぎて夕暮 紙で手を切るやうにわれは言いあやまてり

ベルギーのビール注がれてふくふくと笑ひのやうな泡立つる冬

おが屑の中から選び卵買ひし少女時代も卵のやうな

犬だけがわれの誘ひを断らずいそいそと来る夜の遊歩道

『トリサンナイタ』より

戦争は『ノンちゃん雲に乗る』の本の最後の方に少し出てくる

人の名を決して叫ばぬ吾のかはりに絞らるるごと鯨鳴きをり

風は木を圧(お)してゆくなり定禅寺通りのけやき圧されて笑ふ

夕暮は団栗の国へ帰りたがるわが子すんすんと鼻を鳴らして

一時間六百円で子を預け火星の庭で本が読みたし

冬瓜のスープ、モロヘイヤのスープ、冷たい豆のスープ、秋立つ

ひねもすを母たらむとし躓きぬ子の投げ捨てし本に積み木に


# by konohana-bunko | 2022-10-20 21:52 | 読書雑感

最近読んでいる本 『定義集』 大江健三郎

『定義集』 大江健三郎 朝日新聞出版

ことばの抜き書きをもとに思索を深めるという方法があるのだなと思う。
以下、付箋を貼ったところを引用してみる。

・エドワード・サイードの「意志的な楽観主義」という晩年の信条に、学ぼうとしている

・《あなたの欠点は忍耐のないことで、エネルギー不足ではありません。もし、忍耐もエネルギーもあるならば、書き直しをもっと続けなくてはなりません。》(フラナリー・オコナーのことばより)

・「いのちのあるあいだは、正気でいないけん。おまえたちにゃーことあるごとに狂った号令を出すやつらと正面から向き合ういう務めがまだのこっとるんじゃけえ」(井上ひさし『少年口伝隊一九四五』より)

以下の二つは著者自身のことば。

・世界を覆っている市場原理の大波は純文学のマーケットにも及び、新人の成功には次の新人の成功が期待される。永続きする仕事を準備させる態勢ではありません。生き延びるには、多様な抵抗力をつけておく必要があります。

・私が書庫に籠って来し方行く末を思った後、なんとか回復に向かうのは、自分は若い時から天才的な知己を得た、それは幸いだったと考えてのことです。かれらはみな、子供の心性を持ち続けながら強く深く成熟してゆく人たちでした。

unlearn 学びほぐす
bricolage 器用仕事

こんなことばがあるんだ。忘れないようにこれも書いておく。

# by konohana-bunko | 2022-10-13 16:20 | 読書雑感

何もないところを空といふのならわたしは洗ふ虹が顕つまで


by このはな文庫 十谷あとり